生きる原動力⑦
そして、第1子妊娠。なかなか子宝に恵まれず焦っていましたが諦めた矢先でした。初めてのことがたくさんで、母子手帳を貰った日にお母さんと言われ、誰の事?と思ったのがつい最近のことのように思います。
また、その年には、これまで悩んでいた通信制大学編入学をした年でした。重なるものです。実習も予定していましたが1年先延ばしにしました。
今まで赤ん坊を触ったことのない私で、どこから何をしたらよいのか?の世界でした。里帰りも、少し自慢げな気持ちになってうれしかったです。出産は、恐怖が先行して微弱陣痛が続き、一日以上苦しみました。そして出産。とてもきれいな顔をした赤ん坊で驚きました。
それからまた住まいに戻り生活。心配で仕方がなかったですが、何とかなるものです。
長男の出産もおわり、里帰りして実習をすることができました。
そして、やはり生活が心配になり仕事探しへ。まだ早いんじゃないか?とか幼稚園に行くのが普通じゃないか?と方々で言われましたが、金銭面と併せて子どもとのかかわりが一人だと不安で、周りにSOSしながら社会に出たかったのです。逃げにも見えますが、事実です。
長男が1歳になる前に入園。初めての保育園です。
いざ子どもと離れるのは、寂しくもあり勝手な自分がいると葛藤していました。
またこちらが想像していたものより保育園は厳しく、こうすべきというものがあり、
迎えの時間も時間内であっても遅すぎますときつく言われる始末。鼻水が出てかわいそうと
言われ、よく見ると、冬でもトレーナーの下は何も着させられおらず、翌日また着させると
着させすぎですと叱られ、また鼻水が出ている始末。
当時の私は派遣でフルタイムの仕事をしていたので、
帰ると戦争です。ご飯の支度や洗濯、長男のお風呂入れ、おむつを時々変え、
そして試験勉強…。よく体がもったと思いました。
おかげさまで精神保健福祉士の試験に受かることができ、その数か月後派遣切り。