生きる原動力⑨
そして、2回目の里帰り。このころ主人も転職が決まり、今の県へ。初めての島暮らし。
本土にいるよりかは余程店が多くて、野菜も新鮮で安くて美味しい。だけど、地元ではないですし、夫婦が余程きっちりした生活基盤を持たないことには子どもの進路や自立の幅に限界を感じました。静かなまちでしたので、いざ雑踏のなかで順応できるかと。
私も主人もいずれ子ども達は雑踏にまみれながら周りと時としてぶつかり合いつつ、乗り越える力をつけて欲しいと思ったからです。ライバルのいない穏やかな人生も悪くはないですが、結局どこかで競争社会が待っていると思ったのです。
もちろん、島の方は気候のように穏やかな方ばかりで、過ごしやすかったです。
少しずつ私はカウンセラーの仕事をしながら、生活に慣れ、第三子の妊娠がわかりました。
私に3人の子どもが育てられるのか、不安もありつつ、産婦人科の先生の穏やかで明るい診察のおかげで妊娠生活を送ることができました。
しかし、2人の乳幼児を抱えての妊娠生活はかなり重労働です。次男はなかなか離乳もできず、可哀想ですが、母体や第三子のため、無理矢理終わりました。
妊娠中に主人の転職が決まり、今の地へ。実家の近くになったのに何故か不安でした。
転居。長男だけ保育園が決まりました。この生活のおかげで、今の生活があります。
そして三男誕生。