生きる原動力⑧
転職活動でダメもとで精神保健福祉士の仕事を探しました。やはり保育園に通っていても、近くに実家があってすぐに子供を見てもらえる環境がないとだめだといわれなかなか仕事が見つかりませんでした。ですが、何とか見つかりました。
ここから心理や福祉の世界がスタートしました。障害者の学校です。
初めて先生と言われる仕事で、先生と言われても振り向かない私。学校という職場も初めてで立ち振る舞いにも戸惑いながらも、優しい先生もいて、支えられながら過ごしていました。環境が良かったからか、気持ちも安定していたからか、第2子妊娠。正直戸惑いましたが、長男に兄弟ができることの楽しみや期待も出てきた頃でした。
妊娠の見通しは立てられるようになったのですが、蓄膿というマイナートラブル発生。産婦人科へ相談すると、妊婦には治療できない、責任が取れない。と言われ毎日鼻水と頭痛に悩まされる始末。当然寝不足が続き、その中で長男の育児と仕事は続きます。そして1か月が過ぎ、全く改善せず、周りの病院を当ってみても妊婦を理由に治療拒否。
結局、紹介状がなかったですが、夜に市民病院へ電話。すぐ来てくださいと言われ、期待せず行きました。すると、初めは内科で見てもらったのですが、内科の先生が当直でもない耳鼻科の先生へ連絡してくれて、急遽自宅から来てくれて、治療へ。入院したほうがいいよと言われたけど、子どもがいるから通院するといい、点滴をするために数日通いました。本当に楽になり、睡眠がとれ改善し、神のようでした。
そして、2回目の里帰り。このころ主人も転職が決まり、今の県へ。