生きる原動力⑥
それから半年後に転職。事務と接客でした。
ここでは、周りの人に支えられて、人の温かみやありがたみを感じることが
できるようになったのです。
色々お叱りもありましたが、それも今の仕事や生きる原動力になっています。
最後は組織編制で、一人の従業員というよりも女の子という名前で扱われ
仕事をさせてもらえなかったことを理由に退職。
その後は短期の仕事を行い、結婚。
初めて県外で親元を離れて生活するようになりました。
包丁一つ持ったこともない私。
味噌汁だってどうやっていいのか、スーパーで買い物もしたことがなくて
100グラム90円と書いてあってもその意味が分からず、
なぜ、500円になるのか?思ったより買い物でたくさん買ってしまったと
勘違いする日々でした。それくらい何も知らない私だったのです。
そして、家のドアを出たらわからない世界です。
その中で、中古で譲ってもらった自転車で地図を見ながら行くハローワーク。
遠かったと思います。美容院やお店がどこにあるかすらわからず、身なりもかなり
小汚い感じだったのだと思います。ハローワークの前で警察官に職務質問を受けました。
「自転車の防犯のとこ、見せてね。あれ?どうして県外じゃん。ちょっと免許証か何か証明できるもの見せてよ」と言われ、免許証を見せて経緯を説明する始末。不審者と思われたようですが、ここは説明で納得してもらい、そのあとは世間話で終わりました。
県外を離れると、同じ日本でも言葉もわからず、適当に返事をしていたら話がかみ合わないことも多かったです。少しずつここは、聞き取れるようになりましたが。
そして、第1子妊娠。